2021年3月30日

P-CFO 伊藤一嘉さん

地方で求められるP-CFOの在り方。
「社長のメンタルサポーター」として指名がやまない中小企業診断士

株式会社UI志援コンサルティング
代表取締役
伊藤 一嘉(いとう かずよし)さん

今回ご紹介するのは、パートナーCFO養成塾の第2期生(2019年6~11月)の伊藤一嘉さんです。

栃木県那須塩原市・宇都宮市を拠点に、財務とIT系の支援に強いUI志援コンサルティングを経営。その明るくポジティブなキャラクターで、中小企業の社長からの指名が絶えず、まさにP-CFO的な働き方をされてきたとのこと。地方で活躍する中小企業診断士のパイオニア的存在である伊藤さんに、これまでのご経歴とその活躍の裏側を教えていただきました。

【プロフィール】

東京都生まれ、栃木県大田原市育ち。東北大学工学部機械工学科卒業後、父親の経営する機械製造販売会社に就職、後に倒産を経験。その後会計事務所、経営コンサルタント会社勤務を経て、2007年経営コンサルティング業を開業。同年7月にUI志援コンサルティング株式会社を設立し、代表取締役に就任。中小企業診断士。
株式会社UI志援コンサルティング 代表取締役 https://uicuic.com/
株式会社RPRP 取締役 https://www.rp-rp.co.jp/
一般社団法人栃木県中小企業診断士協会 副会長 http://www.rmc-tochigi.or.jp/

大学卒業後、父親の会社へ入社がターニングポイントに

伊藤さんは栃木県で地域密着型の活動をされている印象が強いのですが、ずっと栃木で暮らしているのでしょうか?

私は1970年(昭和45年)、栃木県出身の父と愛媛県出身の母の間で生まれ、4歳の時に栃木県に越してきました。その後、地元の小中高を出て、高校卒業後は仙台の大学へ。大学4年間は遊びに行ったようなもの、といえるほど遊んでいました。(笑)

小学校4、5年生くらいの頃、父が会社を始めました機械屋、町工場で、食品機械や調理機械、特にチョコレートや飴、ガム、アイスなどのお菓子を作る機械を作っていましたが、バブル後に調子が悪くなり、従業員に辞めて頂くことになりました。そこで、父から「人が足りなくなるからお前帰って来い」ということで、就職先は決まっていたものの、大学卒業後すぐに栃木に帰ることになりました。これがまさに、人生の転機の一つでした。

父親の入院、そして父親の会社の倒産を経験した20代

お父様の会社に入社してからはどのように過ごしたのでしょう?

大学では遊んで過ごし、すぐに実家に入ったので、当時は現場であまり役に立てませんでした。当時23、4歳の頃から「そのうち経営者になるんだろうな」とは思っていたので、「中小企業診断士になる方法」という本だけ買った記憶があります。しかし、基本的には指示待ち人間で、アフター5のことばかり考えていました。言われたことだけしかできなくて、設計、企画、営業、提案といった、頭を使う仕事は全くできませんでした。

平成10年、父が54歳の頃に倒れまして、1ヶ月半ぐらい入院したんです。当時私は27歳で専務という役をもらっていましたけれども、何も仕事できないので会社が傾いてしまいました。さらに、もともと借金が多かったこともあり、会社が倒産してしまいました。

会計事務所の仕事を通じて知った「人の役に立つ喜び」

それは大変な経験をされたのですね。その後どうされたのですか?

それまでまともに仕事をしてこなかったので、まずは友達の会社のアルバイト「仕事をちゃんとやってお金をもらう」経験をして、その後会計事務所に入りました。ここで「仕事とは何か」ということを教わり、価値観が大きく変わりました

TKCグループの会計事務所だったので、TKCの創業者である飯塚毅先生自利利他の理念「自利トハ利他ヲイフ」を知り、「誰かのために役に立つ」ということに感銘を受けました。

簿記のボの字も知らないのに会計事務所に入ってしまったので、本当に簿記から勉強しました。その事務所は経営支援を志す事務所だったので、先輩方がみんな経営の勉強をしていて、そうした先輩方の刺激も頂きながら診断士を目指し、平成15年に診断士の資格を取得しました。

コンサルタント会社での経験、そして独立起業の道へ

中小企業診断士の資格を取得して、仕事内容などに変化はありましたか?

会計事務所の中にコンサルタントの別会社があり、診断士を取った時にその別会社に異動しました。そこでは会計事務所の顧問先を中心に、コンサルタントの真似事みたいなことを始めました。

ちょうどこの時期に足利銀行破綻があり、栃木では企業再生とか経営改善の仕事が急増していました。企業再生や経営改善の計画策定を支援する国の再生支援協議会や、県の無料相談の仕事について、診断士協会の会長から「伊藤君は会計事務所だから財務もわかるからやってみるか」と声がかかり、山ほどある件数をやらせて頂いていました。当時、県の診断士協会に入っている30代の診断士って私しかいなかったこともあり、先輩に可愛がって頂いていました。

ただ、会計事務所もコンサル会社も会社なので、当然利益を生み出す必要があります。企業再生や資金繰りの厳しいところの仕事だけでは成り立たないので、経営革新や新規事業をやる方針となりました。結局、その事務所では企業再生をやっていけないこともあって独立することにし、私より3年ほど先に独立していた先輩の臼井と共に株式会社UI志援コンサルティングを立ち上げました。UI臼井・伊藤の略ですが、友愛you&Iの意味もあるんです。

[宇都宮にある素敵なオフィス]

資金調達&財務強化ITを得意とするUI志援コンサルティング

UI志援ではどのような仕事をされてきたのでしょうか?

会社を設立した当時、栃木県では企業再生の件数が非常に多く、全国の再生支援協議会の中で計画策定の案件数は全国1位や東京に次いで2位にも上りました。それでいて、対応できる専門家の人数は東京と比べて全く少ない状況です。専門家の質と量が足りない状況は今も続いてはいますが、とにかく、そういう状況に自分がいたので、企業再生に関して非常に多くの案件をやらせて頂きました。

また、社交的なところは学生時代から変わらず、いろんなところに出かけていたので、その中で商工会議所や商工会とのご縁ができたり、税理士や他の士業の先生と出会ったり、クライアントをご紹介いただくことも増えていきました。

お客様はどのくらい抱えていらっしゃるのですか?

私が担当しているのは、今は10件ぐらいでしょうか。会社全体では50件くらいです。栃木県内が8割9割、東京が数件、県外が数件ですね。

会社は何人でされているのでしょうか?

現在は私を入れて6名の体制です。

スタッフ数のピークは3、4年前で、私を入れて13名のスタッフがいました。その後、だんだん組織化を図ってきたのですが、私は現場好きなので、スタッフが増えてからも現場に行って会社の中にいないこともありました。自分のマネジメント不足から、スタッフが入っては辞め、入っては辞め、ついに辞めていく人が多くなっていきました。そこから私自身もコンサルティング、現場の仕事をセーブするようになり、徐々に社長業の割合が増えてきているという感じです。今は役員3名、社員3名でバランスが取れ、落ち着いてきました。

スタッフが6名に減り、コロナ禍にも関わらず、実は前年売上の1.4倍を達成しました。今期3月決算は、14年目にして史上最高になる見込みです。

人数が減ってその成果を達成されたのは素晴らしいですね!会社の業務内容もやはり変化してきているのでしょうか?

うちのビジネスモデルは基本的に顧問契約によるもので、それは今も変わっていません。

変化があるとすれば、IT導入のサポートのように部分的なIT系の支援や、ECサイト構築など元請けが増えたことです。これらにより今回売上が上がったのはあります。

また、中小企業診断士としての仕事は、一般的に公共の仕事、国、県、商工会議所、商工会といった公的機関の仕事が多いと思います。うちも公的機関の仕事も請けてはいますが、売上比率でいうと全体の2割ぐらいです。

公私ともに多数の役割を持つ伊藤さん、その熱量を支えるもの

伊藤さんは、現場に出すぎないように気を付けられているとのことですが、会社以外でも地域で様々な仕事をされているとお聞きしました。

私の性格上いろんなことを、仕事以外のことをいっぱいやっているので、肩書きが多すぎるんです。いろんな所に行くし、行くとこうやって喋っちゃう。それで目立つのかもしれないけど、有償無償関係なく、いろんな声がかかります。栃木県の診断士協会でも今は副会長をしていますし、PTAも会長を経験させていただきました。

[毎回100名以上の経営者が交流する「デアイセミナー」の模様。コロナ禍では、ウェビナー(WEBセミナー)で開催し、200名が参加した]

伊藤さんはさまざまな形で会社や組織に貢献する仕事をされていますが、そのすべてを「楽しんでる」という熱量を感じます。その秘訣は何ですか?

一番は「自分が楽しいと思っている」ということですね。

二番目は、会計事務所にいた時に知った「仕事で人の役に立つ喜び」ですね。会計事務所一年目で担当した企業が、決算予測が赤字だったのですが、決算まで残り2、3ヶ月の時期から、毎月1日にミーティングを行い、前月の売上利益を見て、決算までの予測を立てることを続けて、最終的に黒字になりました。今でも覚えていますけれども、その社長さんが「伊藤さん良かったですよ!あれをやっていたおかげで黒字になりましたよ」と言ってくださった、その時の「役に立った感」です

特に20代までは好き勝手に過ごしていて「楽しい」しか判断基準がなかったんですが、この経験から「誰かの役に立つ」という基準が加わりました。今はその「誰かに役に立つ」機会を増やしているという感じです。

私は、財務はさすがに分かりますが、コンテンツや専門は持っていないです。私の特徴は、こうやって喋るとか明るく、ポジティブなところがあるので、場作りとか、いわゆる組織作り、運営などできることで役に立つことがあるならばお役に立ちたい、と考えています。

医師に例えるなら精神科医:メンタルサポーターとしてのアイデンティティ

きっと社長さんたちは、専門性もさることながら、伊藤さんのお人柄にもすごく支えられているのでしょうね。

多分私をお医者さんに例えると、精神科医的かなと。精神科だと病気になってから来るところだから、予防も含めたメンタルサポーターというイメージです。これは周りに結構言われますし、自分でも意識するようになりました。

そういう意味では、私の仕事はコンサルというよりは「元気になってもらう」仕事です。社長はポジティブになれば、ポジティブな解決策を見つけてくるので。

社長とのコミュニケーションで心がけていることはどんなことですか?

私のスタイルは、あれやれこれやれと指示型ではなく提案型、もっと言えば提案前のアイディア型ですかね。「あんなのもあるし、こんなのもあると思うけれども、どれやります?」みたいな。そうすると社長は「何をやるか」を言いますし、社長はやると言ったことはやる人が多いので進んでいきます。

伊藤さんの企業再生にかける思いの原点は、最初に出てきたご実家での経験にありそうですね。

常に熱意を持っているというほどではないですけれども、私の根っこは親父の会社の倒産だと思うので、企業再生の支援先について「何とかしたい、同じような思いになってほしくない」と、やっぱり放っておけないという思いはあります。

社長が苦しんでいる時や悩んでいる時、社長が死にそうな顔をしている時ってお金がない時なので、もちろん資金調達をどうするかとか、キャッシュフローを増やすにはどうするか、のアドバイスはします。ただ、実はそういう時は、お金の解決策を出すよりも、マインドをリセットするのに意識しています。会話の中で、どれだけネガティブからポジティブに向かってもらうかということはすごく意識しています。

地元栃木県の未来を作る若手を育てたい

伊藤さんが地元のために取り組まれていることをぜひ教えてください。

ライフワークとして、ひとつはやっぱり企業再生。もう一つは後継者育成ですね。

クライアント企業の支援の場面で後継者を巻き込んでいく。これはもう楽しくてしょうがないです。さすがに25年前の私みたいなやつは、今どきそんなにいないですけど。

ただ、やっぱりまだまだ経営に意識が向いていないことはあるので、彼らをどう巻き込んでいくかというところですね。「俺みたくなるなよ。親父さん、今倒れたらどうすんだ」といったことを伝えたりもします。

後継者育成について、詳しく教えてください。

今から4、5年前に後継者の勉強会をしました。半年間のプログラムで、参加メンバーとは終わってからもフォローアップもかねて、月1回の勉強会をやっています。今では社長になっているメンバーもいて、彼らと会うのはとても楽しいです。

私の勉強会では、例えば宿題として「親父の人生を聞いてくる」「会社の創業から今までの経歴の年表を作る」などを出しました。さらに、それを見ながら親父さんが会社を始めた時や会社に後継者で入ってきた時から、今までの人生を聞いてくる、というのもやりました。そうすると、親父がこんなだったのかとか、うちの会社は親父が若い頃、火事になっていたとか、それまで知らなかったことを知ることになります。そういう会社の歴史を知る機会が、「親父ってすごいな」と思う機会になったり、両親から受け継いでいることに、意味があるんだなって感謝の気持ちにつながったりします。

あとは、那須塩原の地域では特に若い人の人口減少が課題です。この地域を将来作っていくのはやはり若手だと思うので、栃木県内の若手育成をやりたいです。それも起業する人だけではなく、企業内で働く若手の人も含めて、何か新たなものを生み出せる人たちが増えていったらいいなと思っていて栃木県内の若手、働く人たちの意識向上、スキル向上の何か事業をやっていけたらいいなとは思っています

P-CFO協会を通じて企業をサポートする仲間が増えていくことが魅力

税理士の浜村さんから声をかけたんだとお聞きしていますけれども。伊藤さんの方で何かきっかけと言うか、どんな目的があったのでしょうか。

そうですね、きっかけは浜村さんにもらいました。

当時私はコンサルよりももう少し企業の中に入っていく存在として、社外取締役派遣事業について考えていたこともあり、受講しました。事業については後輩の診断士らに声をかけたりもしていますが、高森さんの養成塾はプログラムがすごくまとまっているので、やっぱりこのP-CFO養成塾を受けた方が入るといいなと思っています

P-CFO養成塾は、自分のスキルアップを図っていくこともそうですし、協会を通して仲間ができるのもすごくいいですね。そうやって企業をサポートする仲間が増えていくというのはすごく大事だなと感じています。

パートナーCFOのサポートで、栃木らしい企業を日本、そして世界へ

伊藤さんが今後目指しているものや成し遂げたいことを教えてください。

今、どこの会社も会計事務所さんはだいたい頼んでいると思うんですけれども、それと同じようにパートナーCFOが各企業にいるとかいうぐらいになったらいいなと思います。

栃木では東京のようにキラキラしたベンチャー企業が多いわけではありませんベンチャー精神の方はたくさんいらっしゃいますけれども。私は、地元の栃木らしい企業さんたちにパートナーCFOがつくことによって、よりキラキラしていって、それこそ東京に限らず日本または世界に出て行く企業が一社でも増えていったらいいなと思います。

それは素敵な考えですね。東京以外の地域では、第二創業のフェーズなど、跡継ぎ社長にはすごくマッチするところはあるのかなと思うんですけれども。

あると思います。まさしく三角形の部分ですよね。CEO、COO、CFOのあの三角形のCFOの部分が、社内にいらっしゃらないことはあります。財務や総務、経理を担当している人はいますけれども例えばBSを見ながら投資の判断をしていくとなると、経営者一人で考えなくてはいけないような状況です。

そこにパートナーがいるだけで全然違いますし、社内CFOではなくパートナーCFOというのは常駐でなくてもいい。企業側では、常駐でCFOを雇うにはちょっとハードルが高いけれども、ポイントで相談したい。働き手側も常駐はできないけれども月2回なら行けます。そうしたお互いにとってメリットがありますよね。

今、こうしてお話しいただいたのは、本当に伊藤さんの今の働き方がそのままという印象ですね。

近いと思いますね。いずれは栃木支部を作れるくらい、栃木のメンバーを増やしたいですね(笑)。

(編集後記)
今回取材させて頂くなかで、伊藤さんの持つ明るさやポジティブさの裏で積み重ねてこられた経験や実践の一部を覗かせて頂きました。会社経営における一つの終わりと、そこからの再生。その両方を経験してきた伊藤さんだからこそ、見えている世界があり、伝えられることがあるのですね。
今後は、これまで以上に地域の後進育成に励まれるとのこと。栃木県発の面白い人・会社の誕生を、これからも楽しみにしています!

<取材・文>2期生 溝上愛
取材日:2021年2月27日