2022年9月4日

P-CFO 西村 真紀子さん

財務スペシャリストにとどまらず経営参謀を目指す
ベンチャー企業のCFO
~関わった人が誇れる会社を作る~

株式会社フォワード 取締役
西村 真紀子 (にしむら まきこ)さん

今回ご紹介するのは、パートナーCFO養成塾の第4期生(2021年6月~11月)の西村真紀子さんです。
ブランドコンサルティング会社の株式会社フォワードに創業間もない頃から参画し、現在はバックオフィス部門を統括する取締役として活躍されている西村さん。

学生時代はソフトテニス(軟式)の選手として全国大会にも出場したほどスポーツに打ち込みましたが、大学卒業後は一転して華やかなブライダル業界に飛び込みました。そんな西村さんが、いかにして現在のお仕事とパートナーCFOにたどり着いたかをインタビューしました。

【プロフィール】
宮城県生まれ。大学卒業後、2007年に結婚式場やホテルを経営する株式会社テイクアンドギヴ・ニーズに入社。その後、アパレル会社やPR会社を経て、2014年に企業のブランドコンサルティングを手がける株式会社フォワードに入社。経理財務から総務、採用までバックオフィス部門の要として活躍中。2020年に取締役(現職)。
中学、高校、大学ではソフトテニス(軟式)の強豪校に在籍し、宮城県や東北の代表として各種試合に出場。

株式会社フォワード https://www.forward-inc.co.jp/

【ミッション】:「好きといえるブランドがある。そのよろこびを、人に、社会に。」
お客様や消費者はもちろん、そこで働く従業員も含めて、関わる全ての人が愛せるブランドを1つでも多く育てることを通じて、活力ある社会を創り出すことを目指しています。

【ビジョン】:「ブランドとともに、育ち続ける会社。」
戦略策定から施策実行、ブランド価値の社外発信(マーケティング活動)から社内浸透まで、ブランドが成長していくためのあらゆる領域をカバーし、常にお客様と並走し続けることによってブランドと弊社が共に成長し続ける、そんな会社でありたいと考えています。

コンサル会社のCFO=バックオフィス部門を統括

まず、株式会社フォワードについてご紹介ください。

企業向けにブランドコンサルティングを提供しており、具体的にはブランド戦略策定・インナーブランディング・アウターブランディングの支援しています。最終的には、ブランドの良さや魅力を「形」にして社会に伝えていく込められた思いを届け共感者を生み出す仕事をしています。
創業は2013年11月、従業員は現在約30名です。

西村さんはどのような役割を担っていますか。

財務、経理、法務、総務、労務、情報システムIR、などのコーポレート機能いわゆるバックオフィス部門(組織名:コーポレートデザイン室)を統括しています。フロント部門(コンサルティングやマーケティング)以外の全てといった感じです。

ですから、一般的な財務・経理を担当するCFOというよりは、養成塾で扱ったパートナーCFOの業務範囲に近いです。

バルサ(FCバルセロナ)を超えるチームを目指す会社

まさに社長の右腕のお立場ですが、どのようなご縁で入社されたんですか。

私がPR会社に勤務しているときに、株式会社フォワードの創業者と知り合いになりました。彼は、「メッシ超え、バルサ超え」が自分の夢だ!(注1)」と言って、当時勤務していた株式会社リンクアンドモチベーション(組織人事コンサル会社。東証プライム市場上場)を退職して株式会社フォワードを創業しました。

(注1)
・メッシを超えるようなサッカー選手を輩出する。バルサを超えるようなプロサッカークラブを経営する。
・メッシ:アルゼンチン出身の世界的サッカー選手
・バルサ:FCバルセロナ。スペインのプロサッカーチーム。

はじめて彼から「メッシ超え、バルサ超えを実現し世界ナンバーワンになる!」と熱く語るのを聞いた時は「この人何を言っているんだろう」と心の中では思いました。
ただ、よくよく夢や創業する会社の話を聞いていると、ひょっとしたら本気で夢を実現させてしまうのではないかと強く印象に残りました。

その後、私はフリーランスになり越境ECをやっていたのですが、創業者から「バックオフィス要員が退職するので、フォワードで働いてみない?」と誘いを受けました。

私はそれまでに複数の会社やフリーランスの経験から「仕事はやればある程度できる」という感覚は持っていました。ただ、個人で働いてみて「個人事業(フリーランス)で利益を追求するのは楽しくない。同じ志を持つ人や共感しあえる『誰』かと仕事をするかが大事」と思い始めていたところでした。

フォワードの創業者のことは知り合った時から強く印象に残っていたこともあり、創業メンバーの方々も一緒に居てとても気持ちの良い人達。私の考える「誰」と仕事をするのか、と言う点では申し分ありませんでした。
そして、バックオフィスはあまり経験ありませんでしたが、「それでも大丈夫」と後押しもあって入社しました。

まさに、「経営で大事なのは、誰をバスに乗せるかであって、バスの目的地ではない(注2)」ですね。

(注2)出所:ビジョナリーカンパニー2 飛躍の法則(ジム・コリンズ/日経BP社)

【フォワードでの会議の様子(西村さんは左から2番目)】

初仕事はカンボジアのサッカーチームの買収

創業メンバーたちの人柄とビジョンに惹かれて入社されたたわけですが、入社されていかがでしたか。

当時の社員数は私も入れて5人程度でした。

「これからコンサル会社でいろいろ経験するぞ」と意気込んで1週間程度たった頃、突然、「カンボジアのプロサッカーチームを買収することになった。だから、カンボジア支店の設立お願いできる?」とまさかの無茶ぶり。

私は、「創業間もない会社がカンボジアのサッカーチームを買収する?そのお金は?どうやって運営するの?」と思ったのですが、創業メンバーの役員2人で「海外サッカーチーム、年間3,000万円かかるんだけど買えるかもしれない」「夢に近づけるこんなチャンスは滅多にない。3,000万円くらい俺が(コンサル事業)が稼ぐから買おう」と5分かからず意思決定したそうです。

それを聞いて「やばいな、この人達」と思いましたが、それと同時に明確なビジョンをもってやること全力でやっていれば、運や縁も味方してくれる。実現させるために「前に進んでいくんだ」というのを実感したので、私も腹をくくり、国内・海外どちらの事業においても未経験業務を必死でやりました。

草創期の会社が海外のサッカーチームを買収するとは! あまり聞いたことがありません。

カンボジアの後はナイジェリアのサッカーチームも買収しました。海外の文化や商習慣の違いに戸惑うことも多く、取り扱う通貨が円、ドル、リエル、ナイラになった会計処理は苦労しました。現地で高額な現金を持ち歩けば強盗や銃殺事件も発生するような地域でしたし、必要資金を送金するにも送金元の銀行からマネーロンダリングの厳しいチェックを受けるなど、海外事業のオペレーションの課題を一つひとつ解決していきました。

サッカーチーム運営はじめ海外事業については、その後の事業再編で切り離したため今はありませんが、普通のコンサル会社では絶対に経験できないことなので、大変な仕事ではありましたが有難いキャリアになりました。

テニス部が西村さんの原点

ここで時間を遡って、西村さんの学生時代について教えてください。

私は宮城県出身ですが、中学校のときソフトテニス(軟式)部に入部してのめり込んでしまい、その後高校、大学とずっとソフトテニスに打ち込んできました。

おかげさまで、インターハイ(全国高等学校総合体育大会)、インカレ(全日本学生選手権)、国体に県代表や東北代表として出場しました。

それは凄いですね。強豪校でプレーされていたんですか。

そうですね。高校・大学では「東北1位、県1位くらいで満足するな、もっと上を目指せ」という指導・部員のスタンスは強くありました。

あああそんな環境では練習も厳しそうですね。

とくに高校のときはかなりのスパルタ教育でした。スポーツを強化している学校だったので、ソフトテニスだけでなく、バレーボールや卓球なども県内トップクラスで、それを維持するために各部とも練習は非常に厳しかったです。

とくに高校のときはかなりのスパルタ教育でした。スポーツを強化している学校だったので、ソフトテニスだけでなく、バレーボールや卓球なども県内トップクラスで、それを維持するために各部とも練習は非常に厳しかったです。

女子だからという手加減もなかったので、精神的にも肉体的にもテニスに打ち込んでいた10年間はずいぶんと鍛えられました。私の心身の基盤はこの時代にできたと思います。

最初の就職は結婚式場

ソフトテニス部時代の実績を伺うと大学卒業後は実業団と思いきや、全く毛色が違うテイクアンドギヴ・ニーズ(以下、T&G社)だったんですね。

実業団でソフトテニスに続けることを考えたこともありましたが、大学時代に腰を痛めたことで、仮に実業団に入っても現役を長く続けられないという現実はありました。

ソフトテニスから離れ、就職をしなければと思っていたところ、たまたまテレビで流れていたT&G社のCMを見て感銘を受けました。

CMでこれだけ感動を与えることができるとは、どんな会社?
ブライダル、結婚式場をやっている会社?
人を幸せにする仕事も素敵かも
―――と非常に安易な考えというか、直感で会社説明会に行きました。

スポーツで鍛えた勝負勘があったということでしょうか。

私のこれまでの人生はだいたい直感で生きてきましたので、そうかもしれません。

会社説明会では、人事部長から「キーワードは私、漢字、小学校3年生の3つです。今から、目の前の相手を小学校3年生の子供と思って、難しい漢字を使わず、自分のことを、3分間で説明してください」というお題を与えられました。

一般的な就職活動のトレーニングをやってきた人たちは目が点になるようなお題だったのですが、私は「この会社は、おそらくありのままの自分を見せても、それで判断をしてくれる」と感じました。
そして、「私はここに入る」と勝手に決めてしまって、その他の会社は一切受けませんでした。
運良くそのまま入社ができたので良かったのですが、ホント、直感で生きてますね(笑)

結婚式場の仕事というと、ウェディングプランナーをされたのですか。

そうです。
ただ、ウェディングプランナーというと結婚式当日の式を企画するというイメージですが、実際には、来館された新郎新婦に結婚式という一生に一度の1日を買って頂くB to Cの営業職ですね。

当時のT&G社は、設立から10年も経っていないベンチャーでしたが、史上最短で東京証券取引所第二部(当時)に上場した非常に勢いのある会社でした。新卒・中途も含めて毎年100人単位で社員を増やし、業容を拡大しているところでした。

社員教育もしっかりやっていただきましたし、社員の人間関係も良く退職した後も連絡を取れる関係なので、T&G社には本当に感謝しています。

自分のライフイベントとキャリアを考えて転職

その後転職されますが、どういったお考えがあったんですか。

仕事の内容としてはハードながらも学ぶことが多く大好きでしたが、女性の場合はどうしても結婚、出産、育児のようなライフイベントが仕事に影響します。

そう考えると、20歳台のうちに自分がやりたいこと、興味関心があることは全力でやってみたい、思うようになりました。

加えて、当時の私は20歳台前半で、たいていの新郎新婦よりは年下になります。新郎新婦より若く人生経験もない小娘にプランニングされて、新郎新婦は本当に満足していただいているのか、経験豊富な人ほど、もっと新郎新婦らしさを引き出すプラニングが出来るのではないか?という疑念もありました。今考えれば自信が持てなかっただけと分かります。

そこで、俗に言う石の上にも3年ではなく、思い切って転職しようと決意しました。

テニスで鍛えた切り替えの速さが発揮されてますね。

有難かったのは、T&G社の上司や先輩に転職することを話した際に、みなさん、私の意向を尊重してくださり、いつでも戻って来いよという感じで快く送り出していただいたことでした。

その後は、当時自分の好きだったブランドのアパレル業界に転職しました。
アパレル会社には3年ほど在籍しましたが、準社員で入社し会社の最短記録で正社員になりました。業務は店頭での販売業務から始めて、その後店舗の運営にも携わりました。

3社目はどのような会社ですか。

WEB動画サービスに特化したPR会社で、主に企業の経営やプロフェッショナルの人に起業のきっかけや成功体験、ターニングポイントを広く世に紹介していくコンテンツをしていました。

仕事はどんなことをされていたのですか。

経営者や企業の広告担当に営業する営業職として入社しました。
ゴリゴリの営業会社だったので、成果に対しては厳しく追及され泣くこともしばしばでしたが、何よりも営業時に対峙する経営者の方々の貴重な話は、本当に多く気付きを得ることが出来ました。

(仕事的にはかなりハードだったと思いますが、)そのときに株式会社フォワードの創業者と知り合いになるので、縁とは不思議なものですね。

3期生からの紹介で養成塾を受講

パートナーCFO養成塾の4期生として受講した経緯を教えてください。

当社の社外取締役をやっていただいている佐藤雅典さんが養成塾の3期生として受講されて、勧められたのがきっかけです。

入社以来、バックオフィス業務に携わってきたわけですが、取締役という立場にもなったので、今後管理部門をどうしていくかと悩んでいたときでしたし、経理や財務よりも上位のCFOとしてやっていくかどうかも、自分としてはまっさらな状態でした。

そんなときに佐藤さんから「ベンチャー企業の部門長としてこれからもやっていくつもりなら、養成塾で知識を身に着けることは役に立つよ」と。
税理士資格も持つスペシャリストがそこまで絶賛するのはびっくりしました。

【P-CFO養成塾東京リアルクラスでのグループワークの様子(西村さんは右から2番目)】

P-CFOは財務のスペシャリストではなく、経営参謀

そのときは財務的なキャリアを伸ばそうとは思っていなかったのでしょうか。

そうです。
大手企業であれば財務・経理のスペシャリストとしてのCFOは成り立つと思いますが、当社のようなベンチャー企業で一つのスペシャリティを持つことはあまり現実的ではないし、逆に一人何役でもやらないと無理だと思っていました。

佐藤さんの紹介で高森さんからも話を伺い、パートナーCFOは財務的なスペシャリストというよりは広義の経営参謀を目指すものであることがわかり、「まさに私が当社でやりたい役割だ」と受講を決めました。

西村さんのニーズにぴったり合致したんですね。具体的にはどんなことが学びになりましたか。

パートナーCFOに関わる実務は経験としては身に着けてきましたが、それらを原理原則から俯瞰的に学ぶことができたことが一番の収穫だと思います。

あとは、たくさんの分析ツールとそのフォーマットは社内で重宝しています。自社は勿論グループ全社に展開される資料にも「あれ、これはみたことがあるフォーマットだ」というのもたくさんありますので、私も佐藤さんも大いに活用しております(笑)

【P-CFO養成塾のグループワークでは、テーマに沿って各自の経験や意見を共有したり、チームとして一つの課題に取り組みます】

西村さんからみて、養成塾を勧めるとしたらどんな方ですか。

言葉を選ばず言うと、養成塾では企業経営に必要なことを「広く浅く」学ぶことができます。
特定の分野の高い専門性がなくても、それを引き出したりつなげたりすることがベンチャー企業や中小企業の経営には必要なので、そうした経営者や経営幹部には非常に役立つと思います。

実際に、私の知り合いの中小企業の経営幹部の方から経営相談を受けたときに、養成塾を紹介させていただくこともあります。

別の観点ですが、日本パートナーCFO協会に対して要望などはありますか。

今の仕事と重なりますが、「パートナーCFO」の認知度はまだまだだと思いますので、「パートナーCFO」のブランディング、つまりイメージとして蓄積される心理的な価値の向上は図っていく必要はあると思います。
ごく良いものを提供しているので、世間が認識している価値をもっと高められたらいいですよね。

西村さんのまさに専門分野ですね。ブランド価値向上について西村さんにお手伝い頂くと有難いです。

関わった人達が誇れる会社にする覚悟

最後に、西村さんの将来の夢や野望を伺いたいのですが、まずは株式会社フォワードについてはいかがですか。

フォワードという会社をスピーディに大きく伸ばし、これまで当社に関わった人たちが、現役やOBOG問わず「ここで働いている/働いていたことを誇ってくれる」、そんな会社にしたいですね。

実現するためには課題が数多くありますが、経営トップが先頭に立ち旗振りをしているので、私としては「できるか・できないか」ではなく、「やるか・やらないか」だと思っています。

「やるか・やらないか」。西村さんらしい覚悟が感じられる言葉ですね。

楽でない道の方が得られることは大きい/Work As Life

会社から離れた西村さん個人のキャリアや人生設計のようなものはありますか。

モットーというと大げさですが、楽ではない道を選んだ方が、結果として得られる事や成せる事は大きいというのが、私のこれまでの実感です。

今は具体的な人生設計のプランはありません。
私はワーカホリックタイプで、仕事とプライベートを明確に分けているわけではないので、「Work Life Balance」ではなく「Work As Life」ですね(笑)。

何をやるにしても、過去の経験に縛られることなく、新しいビジネス・経験にチャレンジしたいですね。その先には最近の流行言葉の「パラレルキャリア」の状態になっているかもしれません。
もちろん、「誰と一緒にやるか」は重視します。

(編集後記)
西村さんはインタビュー中「直感で反応してきたので」を連発されてましたが、「ヤマ勘」や「ドタ勘」の類ではなく、厳しい練習と試合に耐えて培った「技術に裏付けられた直感」のようなものが優れているのだと思います。

その経験を仕事にも応用しているような気がしました。
そして、ご自身が受けてきたスパルタとは全く違うアプローチで、上司や部下と仕事をしているのだと思います。

「楽でない道の方が得られることは大きい」をモットーに、西村さんご自身も社名と同じ前に進む(フォワード)ことを確信しています。

<取材・文>第2期生 森本哲哉
取材日:2022年6月29日