2021年11月3日

P-CFO 川崎 悟さん

営業支援×情報発信×P-CFOで
町工場の付加価値アップに貢献

合同会社セールス・トータルサポーターズ 代表
川崎 悟(かわさき さとる)さん

今回ご紹介するのは、パートナーCFO養成塾の第2期生(2019年6~11月)の川崎 悟(かわさき さとる)さんです。
エンジニアと営業の経験を武器に、町工場の経営者を営業戦略面で支える川崎さんに、これまでのご経歴やパートナーCFOに関して伺いました。

【プロフィール】
神奈川県横浜市出身。東京電機大学大学院機械システム工学科修了。中小企業診断士。
上場企業のエンジニアから中小企業(水処理機器の商社)の営業マンに転身。顧客ゼロからテレアポを含めた新規顧客開拓により売上高3億2000万円(営業所全体の売上高の約70%)を獲得しトップ営業マンなったという実績を持つ。現在は、経営コンサルタントとして中小企業を中心とした営業戦略支援、技術営業支援などを行っている。趣味・特技:人脈づくり、交流会開催、ランニング、筋トレ(体脂肪率9%)

(合同会社セールス・トータルサポーターズ)
https://st-supporters.co.jp/

新卒入社先で「手に職」を意識。エンジニアから営業へ、独立を視野に転職。

川崎さんはパートナーCFO養成塾を受講される以前から、中小企業診断士として独立起業してご活躍されていらっしゃいますが、それ以前のキャリアについて教えてください。

私は元々機械系の大学院を出て、新卒で入った会社ではエンジニアとしても働いていました。あることがきっかけで独立を考えるようになり、その後営業職に転職し、中小企業診断士(以下、診断士)を取得後に独立起業しました。

そもそも診断士について考えたのは、新卒で入った会社での出来事がきっかけでした。私は20年前、2001年に新聞の印刷機を作っているメーカーに入社しました。当時はちょうどデジタルへの移行期でもあり、入社後4、5年で新聞の需要が減少していく様子を目の当たりにしました。“このまま会社にいても、自分が50歳、60歳くらいで会社はなくなってしまうのでは…”と考えるようになりました。
その時に、安心できるように手に職を付けた方がいいなと考え、調べていくうちに「中小企業診断士」が出てきたんです。当時、「独立はかっこいい」というイメージもあって、29歳ぐらいから勉強を始めました。

独立志向と、という漠然“そもそもエンジニアだけで、この先も食べていけるのだろうか”とした思い、それと「自分は営業ができるな」という思いもあって、転職を決意中小企業で営業マンになることにしたのです。35か36歳の時でした。

それは、会社からすると手放したくない存在だったのでしょうね。

当時いたメーカーは、元々国内市場がメインのところ、海外事業にも広げていたのでやっていたのでとにかく人手が少ない状況でした。私も設計だけではなく、アルジェリアに行って現地で調整作業をしたりもしていました。実はIS(イスラム過激派組織)が近くを出入りするとかで、安全のためアルジェリア軍に囲まれて作業をしたりしたことも…当時自分以外にそういうことをする人は社内にいなかったので、そうかもしれません(笑)。

【アルジェリア・サハラ砂漠のプラントで、ご自身が設計した石油の流量測定システムの運転方法を説明する川崎さん】

元々独立志向があったということですが、営業マンとして働きながら特に意識されていたことはありますか?

中小企業の営業マンとして転職したとき、当初は「8割は既存顧客で、あと2割の新規開拓を一緒にやりましょう」というお話でした。ところが、実際に入社したら既存のお客さんは全く与えられず、しかも特に教えられることもなくほったらかし。そんな状況でも売上は決められていたので、毎月社長から「なんで川崎は売上が上がらないんだ」って言われていました。

「そんなのむずかしいだろう」という思いもありましたが、一方で、楽をしようと思ってその会社に入ったわけではなかったので、いろんな営業手法を試していきました。テレアポが何かわからないながらも、トークスクリプトを自作して、電話を掛けたりしていました。それも周りに聞かれたくないのでわざわざ給湯室で2年位経ってやっと成果が出て、社内で売上No.1になりました。もっとも、成果が出たのはお客様に恵まれた、ということが大きいのですが。意識していたことといえば、売り上げが上がるまで、腐らずにやったということでしょうか。

プロフィールにもある通り、まさに顧客ゼロからの新規顧客開拓をされてきたのですね!

会社からやれと言われたわけではなかったのですが、何もしないと成果が出ないので、そんなことをしていました。

営業No.1の成果と中小企業診断士の資格を手に、独立起業へ

独立の準備は、営業マンとして働きながら着々と進めていたのでしょうか?

会社で営業成果が出たのは、診断士に合格する前でした。診断士については、正直一度はあきらめていた時期もあり、なろうと思ってから9年かかって、合格したのは39歳の時でした。合格から1年後くらいから独立準備を始めました。

独立の準備といえるのかはわかりませんが、中目黒のフレンチレストランを貸し切って中小企業診断士の交流会を定期的に開催していました。エキスパート・リンク株式会社の藤田さんをお呼びしたり、高森さんにも何度かお越しいただきました。去年からコロナで開催できていないのですが、これは毎年続けています。

町工場の営業コンサルタントとして、独自性の確立

川崎さんの、今の仕事について教えてください。

今の仕事は、町工場の営業コンサルがメインです。
町工場では「いいものは作っていても、売り方をどうしたらいいのかわからない」という悩みだったり、あるいはそもそも営業という概念がなかったりします。私はその「営業」の部分のコンサルをメインにしています。
ただ、町工場の経営者様は営業以外にも様々な課題を抱えているので、設備投資や補助金申請支援、資金繰りなど、の経営相談にも乗っています。
私がご支援している町工場では創業から6、70年が経過しているので、設備の老朽化や事業承継の支援をすることもあります。

なるほど。川崎さんの場合はターゲットが町工場と決まっていて、彼らの抱える課題に対応されているのですね。

はい。「なんでもできます」ということは、結局何もできない、と一緒だと考えているので、私の場合は意図的に「営業支援のコンサル」だと打ち出していますただ、町工場の経営者さんからは経営について何でも聞かれるので、その時に「それはわかりません」というのでは頼りにならないので、自分で解決できない場合はパートナーのコンサルタントを紹介することもあります。私は「何かしら解決決策を導くためのコーディネート役」ですね。

ちなみにターゲットは何かのきっかけで定まっていったのでしょうか?

きっかけは、燕三条で開催されるものづくり企業の商談会支援で、都内の町工場の方とつながりができたことでした。
実は、燕三条の仕事は独立前から関わっていて、いざ独立するときには、最初から町工場とコンタクトができている状態だったんです。私自身、機械系の大学院を出て、新卒で入った会社ではエンジニアのような仕事でしたし。自然と定まっていった感じです。

製造業×営業のコンサルタントとしての働き方

コンサルタントとしてのお仕事についてお聞きしてきましたが、川崎さんは商工会議所の仕事やセミナー・研修の講師、執筆もされているかと思います。仕事全体の割合はどのような感じですか。

やはりコンサルの仕事がメインですね。コンサル4割、公的機関が3割、補助金関係の仕事が2割という感じですね。あとは成功報酬型の営業支援ビズストーム(経営ゲーム型の研修)の営業をすることもあります。業務ボリュームでいうと公的機関の割合も相応にありますが、収入面も含めるとコンサルがメインとなっています。

ちなみに、補助金関係の仕事は、最近では自分がすべてやるのではなく、信頼できる仲間に依頼して、私は全ての計画書のチェックを行うようにしています。今年の事業再構築補助金に関しては、エキスパート・リンク株式会社と私個人の案件で、合わせて30件近くやりました。

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体作りは自己管理を表す一つの手段

川崎さんのFacebook投稿から、早朝ランニングや金曜日の華金を楽しむ投稿などが印象に残っています。普段のお仕事は、どのようなスケジュールで過ごされているのですか?

私はだいたい21時には寝て、3時半に起きています。これは独立する前からで、もう何年も続けています。朝起きたら洗濯をして、夏休みは週3回お弁当作りをして、ちょっと仕事をして、走りに行ってます。朝一の仕事は、夜に来ているメールチェックなどが中心で、最近だと、事業再構築の事業計画書をチェックして返信してから走りに行っていました。
ランニングから戻ってから仕事をしていますが、だいたい夕方5時6時には仕事を終えています。朝が早いので、それでも結構な時間をやっていると思います。夜だとどうしても雑音が入ってくるので、朝方で仕事をする方が効率的かなと思い続けています。

川崎さんは、仕事だけではなく体づくりや家族のことを含め、バランスよく生活されているという印象です。仕事に限らず、普段意識されていたり、目標にされていることがあるのでしょうか?

私の場合、体作り自分の好きなことで、自己満足な側面もありますが…体作りは自己管理を表す一つの手段だと考えています。
ベテランの方は恰幅があっていいんですよ。ただ、「若手のコンサルタントは太っている場合じゃない」という思いがあります。というのも、我々の仕事はセミナーなどで登壇する立場です。太っていることは自己管理能力が無いと思われて、説得力がなくなってしまうのではないでしょうか。そうすると、受注率にも影響が出てくると思います。なので、そこは気をつけ続けたいなと思っています。

そうなんですね。川崎さんはちなみに、コロナとか、独立される前から、元々スポーツや体作りをされてきたのでしょうか

サッカーは学生時代からずっとやっていて、社会人リーグに出たりもしていました。筋トレ20歳前後で、ベンチプレスも100何十キロから200キロ近く上がったりとか、結構本格的にやっていましたね。
最近よく「川崎さんって筋トレしているの」と聞かれるのですが、今は腹筋を軽くやっているくらいで、あとは走っているだけです。それでも筋肉がある程度保たれているので、「若い時につけた筋肉は落ちない」というのが私の持論です。

【いつものランニングルート。さわやかな秋晴れの朝】

財務的な知識・ノウハウの補完のため、P-CFO養成塾へ

川崎さんは、独立されてから特に営業支援に力を入れてされてきていたと思いますが、パートナーCFO養成塾を受講されたのは、どのようなきっかけだったのですか?

一番は、財務的なところを、もう少し知識やノウハウを補完したかったからです。
正直言うとターゲット自体はちょっと違うのかなと思っていました。例えば資金調達にしても、これからIPOを目指すベンチャーであればエクイティについての支援もありますが、私が普段支援する町工場で扱うのはデットです。エクイティの選択肢はありません。そういった違いがよくわかりました。

それから、高森さんのコーチングやディスカッションパートナーの仕方は参考になりました
そもそも人がコンサルする場面を見る機会は少ないので。それから、ホワイトボードに書きながら経営者と話す点も印象的でした。自分はなかなか難しいなと思いましたし、なかなか今でもできないんですけれども。

コロナ禍で営業に悩む企業支援が増加

川崎さんのお仕事はコンサルが中心ということですが、今ご支援されている先は具体的に何先くらいあるのでしょうか? また、コロナ禍で支援先の数に変化はありましたか?

現在の支援先7、8社です。どこも基本は年契約で、月1回から2回訪問しています。
コロナ禍で支援先の数は増えました元々知りあいの会社からの相談が多いと思います。それこそ、燕三条の商談会支援で知り合ったとかですね。
やっぱり「売上が下がっていてどうしよう」とか、「営業面でどうしていいかわからない」っていう相談が多いです。私は「営業」を看板に掲げているので、取っ掛かりがわかりやすいというのはあるのだろうと思います。

町工場の経営者さんは基本コンサル嫌いですし、しんどい話って「誰に相談したらいいかわからない」となりがちです。だけど「営業」に関してならば、そうはならない。外部の専門家に相談しやすいんですよね。だからこそ、私は「営業」を打ち出しているというところもあります。

大田区の町工場を軸に、情報発信を開始!

【町工場に特化したオンラインメディアサービス「So×Zo(創造)」】
https://mono-sozo.com

川崎さんが最近公開されたウェブメディア『So×Zo(創×造)』についても教えて下さい。「大田区から広がる! 日本の町工場応援メディア」と銘打って、20名の専門家が執筆しているそうですね! このメディアはどのような思いで創られたのでしょうか?

これは、実はランニングをしながら思いついたんです。
ウェブサイト自体はつながりバンク株式会社がやっている“事業投資オンラインメディア”「Z-EN(ぜん)」を参考に、同社の斎藤代表ご夫妻にアドバイスを頂きながら作りました。IT業者さんも斎藤さんからご紹介いただきましたが、内容はカスタマイズしてもらっています。ウェブサイトの構成は、コンサル先で「誰かこういう専門家いませんか?」という場面で見せて活用することをイメージしながら作りました。

もともと何かメディアを立ち上げよう、というところから始まったのでしょうか?

コンサルの仕事、毎年「来年売上たつかな…」って正直なところ不安だったりします。
同じことを続けていても尻すぼみになるかなと思い、新しいことをしたいなと思って、このメディア運営に挑戦することにしました。すぐにキャッシュになるかはわからないけれども。
内容としては週に2本記事を公開しています。取材は月1で実施しています。
取材先既存のクライアントもいれば、取材をきっかけに初めてお会いする方もいらっしゃって、新たなつながり作りにもなっています。

投稿数やPV数など、何か目標はあるのでしょうか?

数字の目標はとくに無いですね。
正直記事を更新するだけでは、町工場の人たちが記事を見て「実践しよう」ということにはなりづらいんですよ。もちろん、それは承知の上で今はやっています。
例えば、コンサルの時にこのウェブサイトを見せて、展示会だったらこれに載っていますよとか紹介しています。そんな風に、ボディーブローのように効果が出てくるようなメディアにしたいなというところありますね。
(追記:10/21には記事50本となり、本リリース以降月間3000PVを突破されたとのこと!)

補助金や事業承継、グループでの支援体制を構築したい!

最後に、川崎さんの今後の方向性野望を教えてください

ちょっと難しいんですけど、自分1人ではできることが限られているので、いろんな人と協業しながら、いろんな専門のグループを作りたいなと考えています。
例えば補助金だったら補助金専門のグループを作って、そこでみんなで協業して取り組むとか、例えば町工場の事業承継だったら事業承継の専門のグループを作って支援するとか、そういったことを今後やっていきたいと思っていて、今ちょっとずつ進めています。メディアSo×Zoの運営も、その取っ掛かりになればいいなというのもあったりします。

あと、私は常々「コンサルって支援先の付加価値に貢献しないと存在意義が無い」と思っています。
例えば補助金申請支援だったら、補助金は国の税金だから、それ以上の付加価値が出るような支援をしなきゃいけない。それはM&Aでも一緒ですよね。M&AでもM&Aして、それから先、会社が成長する支援をして初めて意味があるというところなので、そこを念頭に続けていけたらなという風に思っています。

【商談会イベント支援での一幕。チームをまとめて成果を上げるのが得意】

(編集後記)
川崎さんの涼やかな表情の裏にある、熱い思いが伝わるインタビューでした!
町工場の経営者の特性とご自身の強みを熟知しているからこそのセルフプロデュース力に、川崎さんの営業力の強さを感じます。「営業」を強みとしながらも、様々な経営相談をされるのは、それだけ“経営者にとって頼りになる存在”であり、“相談できる安心感”があるのだろうなと思いました。
川崎さんが得意とされる仲間づくりを活かしたウェブメディアの運営や専門グループでの経営支援など、これからのますますのご活躍を楽しみにしています!

<取材・文>2期生 溝上愛
取材日:2021年9月11日