2023年11月16日

P-CFO 岩崎 比菜さん

「養成塾は現役CFOにも大いに意義あるもの」
現役のスタートアップCFOとして更なる飛躍への転職&副業「社外CFO活動」のきっかけに

ファミリーテック株式会社 執行役員CFO
岩崎 比菜(いわさき ひな)さん

今回ご紹介するのは、パートナーCFO養成塾の第5期生(2022年6月~11月)の岩崎比菜さんです。
岩崎さんは、大学卒業後に外資系証券会社(投資銀行部門)に入社。その後、ESGファンドにおける日本株アナリストを経て、D2Cブランドを運営するスタートアップに転職。現在は、ファミリーテック株式会社というスタートアップのCFOを務められています。
中学生・高校生の頃からユネスコなどのボランティア活動に携わり、大学時代には休学してインド企業に勤める等、海外での経験も豊富な岩崎さんに、これまでの国内外でのビジネス経験、パートナーCFO業務、そしてライフワーク的に取り組んでいる「多様な価値観の共存する社会」に向けた活動についてお話を伺いました。

【プロフィール】
新卒でUBS証券の投資銀行本部に入社し、M&AやIPOのアドバイザリー、アクティビスト対応などに従事した後、スパークス・アセット・マネジメントの運用調査本部(サステナブル戦略)の日本株アナリストに転じ、投資およびエンゲージメント活動等に従事。
その後、SpartyのCorporate Group Director(経営管理部長)として、上場準備および資金調達を牽引したほか、人事・法務などコーポレート業務全般を統括。その傍らで、副業としてArcoiris Partnersを開業し、幅広い企業の社外CFO(パートナーCFO®)として、経営管理体制の構築やIR・ESG対応の支援、上場準備、資金調達などのサポートを行う。
現在は、2023年の出産を機に育児休業を取得中だが、ファミリーテック株式会社の執行役員CFOを務めており、近日中に復職予定。
これまでの海外渡航歴は70回以上。大学時代には、休学してインド企業のムンバイ本社で就業したほか、フィリピン、グアテマラ、メキシコ、カナダでの留学を経験。

アーリーステージのスタートアップCFOとして、資金調達から体制作りまで幅広い業務に従事

まずは現在のお仕事について教えてください。

現在は育児休業を取得中ですが、常勤の仕事としては、ファミリーテック株式会社で執行役員CFOを務めています。
今の世の中の仕組みは、銀行口座にしてもECサイトのアカウントにしても、個人または法人単位で作るのが基本です。そこに「家族や世帯という単位でのマーケットもあるべきではないか」という思いでできたのが当社です。家族や世帯の運営の基盤に必要なサービスや、その基盤自体を提供するというコンセプトのもと、家族金融の領域でサービスを展開しています。
私はCFOという役職ですが、会社としてはアーリーステージなので、マネタイズの方向性を固めることがまずは大きな仕事です。その中で経営計画を策定し、それに沿って資金調達計画はもちろん、採用、社内の制度設計を進めてコーポレート体制を構築いろんなことのルール化などをしてゆくのがメインの仕事です。

創業者とはSNSがきっかけで知り合い、“壁打ち相手”に

入社のきっかけはどのようなものだったんですか。

当社の創業者(中村 貴一 代表取締役)と知り合ったのは数年前です。私がSNSで家族でのお金の管理方法などを発信したことがあり、それを見た創業者から「こういうサービスを提供する会社をまさに作ろうと思ってるんだけど、一緒にやらないか」と声をかけていただいたのが最初です。

私は以前から「多様な価値観の共存する社会を実現したい」という思いがあり、その中で家族の在り方も多様化していくべきだと考えていたので、私の思いと当社のビジョンは当初から合致していました。

SNSからスタートアップとつながるというのは現代らしいですね。

私は学生時代からスタートアップの領域に携わっていたので、創業者との共通の知り合いは元々何人かいました。ただ、直接会話をしたのはSNSが発端なので、確かに現代っぽいかもしれません。

声をかけていただいたタイミングは金融機関にいたこともあり、副業もできなかったので、当社とはたまに事業の方向性等について意見交換をする程度のゆるい関係性で交流を継続していました。

壁打ち相手というと、パートナーCFO的な立場ですね。

はい。振り返ると、まさにパートナーCFO的な感じでしたね。
その後、妊娠を機に、改めて家族領域に注力したいという思いが強くなったタイミングで、当社に一社員として入社することにしました。

【職場での岩崎さん】

「ビジネスでないとサスティナブルではない」と気づきを得た学生時代

学生時代からスタートアップ界隈にいた、とのことですが、学生時代はどんなことをして過ごされてきたのでしょうか。

中学生の頃は、基本的に部活に専念していましたが、帰宅後は、お小遣い稼ぎの一環という感覚で、Webサイトやブログをたくさん作成し、いわゆるネットビジネスをして収入を得ていました。
高校生になると、参加できる活動の幅も広がったため、ネットビジネスからは卒業し、人生の中で一番活動的だったと言っても過言ではないくらい様々な課外活動をしていました。一番頑張っていたのは日本ユネスコ協会連盟の青年部の活動で、終戦記念日に平和についてディスカッションするイベントを開催したり、地元の小学校でユネスコに関連した特別授業を定期開催したり、夏休みに150人規模のキャンプを企画・運営したりしていました。
他には、個人的に関心の高かった環境問題に関連して、地学的な観点で白神山地等にて実地調査を行い、学会で研究発表をする機会をいただいたり、朝日新聞主催の「どくしょ甲子園(読書会に関するコンクール)」に参加して全国2位を獲得したりしました。

並みの中高生ではない課外活動ですね。大学時代はどんなことに取り組まれましたか。

大学の経済学部では中小企業論を専攻し、中小企業と金融機関の関係性や、日系企業の新興国への進出支援の実態について研究しました。特に、北海道での実地調査を元に執筆した企業融資に関する論文では、商工総合研究所の「中小企業懸賞論文」で準賞をいただきました。
また、新興国進出に関する研究を深めるために、休学してインドで就業しつつフィールドワークを行った他、メキシコやフィリピン、グアテマラ、カナダにも留学しました。

課外活動としては、1年生の4月に入部したサークルが、当時既に50年もの歴史があるにも拘らず、実は部員不足により廃部が決定していたことを知り、1年生ながらに副代表に就任して活動内容や広報活動、OBとの関わり方などを改善し、サークルの再構築に注力していました。その他、教育系のスモールビジネス的なものも経営していました。

【フィリピン留学中に、スラム街でのボランティア活動に参加】

インドでは就業経験までされたとのことですが、海外でのインターンシップや、インドを選んだのはなぜでしょうか。

もともと経済格差や教育格差に対する関心が高く、高校時代にユネスコの活動をしている際に、「ボランティアではなくビジネスとして行わないと、支援者の存在が必要となり続けるため、本当の意味では経済格差も教育格差も縮まらないのではないか」「ボランティアのみだと、サステナブルな形での解決にならないのではないか」、ということを感じていました。

また、日本企業の強みである技術力をもって新興国に進出すれば、現地の雇用を生み出し産業を活性化できるし、日本企業のグローバル化も進むし、結果的に、経済・教育状況の底上げに繋がるのではないかとも思いました。
当時は日本企業にとってインド進出が一番難しいと言われていたので、まずは実際にインドの企業で働いてみて、どうして進出が難しいのか身をもって体験したいと思い、また、同時に進出済みの企業の実地調査もしたいと考え、インドに行くことにしました。

文科省の支援制度で海外留学し、インドでは2回の就業(インターンシップ)を経験

発想と行動力がすごいですね。実際にインドではどのような活動をされたのですか。

大学時代は2回インドに滞在していて、最初はインドでビジネスプログラムの実地研修に個人で応募して1カ月滞在しました。

2回目は大学3年生の時に文部科学省の海外留学支援制度「トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム」の1期生に採用していただいたので、休学してインドのムンバイに行きました。そこでは、現地のベンチャー企業で半年間働き、新規事業のマーケティングを担当し、営業や販促、顧客開拓等に携わらせていただきました。現地スタッフとコミュニケーションをとりつつプロジェクトマネジメントを行う経験もでき、企業文化やコミュニケーション、仕事のやり方ではカルチャーショックを受けることも多かったです。

【インドでは、「クールジャパンフェスティバル」のボランティアを務めた】

長期目線でキャリアを考え、大学卒業後は起業ではなく投資銀行へ

大学を卒業してからはUBS証券、次にスパークス・アセット・マネジメントで勤務されたそうですが、金融機関を選んだ理由はなんでしょうか。

卒業後は、学生時代に立ち上げたスモールビジネスに本腰を入れるか、当時検討していた新たなビジネスモデルでの起業をするか、という選択肢もあって結構悩みました。
ただ、3つのことを考え、最終的に投資銀行への就職を決定しました。

1つ目は、海外に滞在したことで日本人としてのアイデンティティが強くなり、既存の日本企業をもっとグローバル化して日本のGDP成長に貢献したいと考えるようになったから。そのため、クロスボーダーのM&Aを促進できるバンカーという立場に魅力を感じました。
2つ目は、自分が起業するにしても、社会的に影響を及ぼすことができるほどの企業にするためには、コーポレートファイナンスの知識が必要になるだろうと思ったから。特に、学生時代はスモールビジネスばかりを行っていたので、スタートアップのような形で成功させる上で、企業経営やファイナンス等に関する知見の不足を感じていました。
3つ目は、必ずしも自分がCEOにならなくても、専門性を身につけて、自分と同じビジョンをもつ企業のCFOやCOOとして携わることができれば、より自分が貢献できる可能性が上がるのではないか、と考えたから。
これらの理由から、投資銀行に入ろうと決めました。

CEO・CFOの立場にこだわらず、「自分が共感できるビジネスを大きくする」ことで社会的な価値を生み出す

CEOとCFOの話が出ましたが、就活の時期からCFOは意識されていたんですか。

当時、自分ではCEOのほうが向いているとは思っていましたが、学生時代にやっていた教育事業は特にスケールを目指さなかったし、結果的にスモールビジネスで終わりました。
そうした経験もあり、自分が考えたビジネスモデルに限らず、「すでに存在している自分が共感できるようなビジネスをCFOやCOOという立場で大きくすることで、社会的な価値を生み出す」ということも選択肢として考えても良いのではないか、と漠然と思っていました。

UBS証券で得たものはどんなものがありますか。

UBSの場合は、若手のうちから主力メンバーとして案件を任せてもらうことができたので、M&AとIPOに関してはかなり知識も経験も積むことができました。アクティビスト対応を含むIRアドバイザリーなどについては、投資家の目線を考える上で、その後のバイサイドアナリストやCFOとしてのキャリアにおいても活きています。
少数精鋭のチームだったので、上司や先輩からの手厚いサポートがあるというよりは、いきなり崖から突き落とされるような形で仕事を進めることも多く大変なこともありましたが、そのおかげで、急速にスキルアップできたのはもちろん、自分で考える力が養えたという点でも良かったです。

多くのステークホルダーと関わる中で、それぞれの間に立って案件を進めるプロジェクトマネージャー的な能力も少し身についたように思います。

株主の立場を経験し、自分が一番やりたいことは「経営者として企業運営に携わること」だと実感

次にスパークス・アセット・マネジメントのサステナブル戦略に転職されていますが、どのようなお考えがあったのですか。

当時、投資銀行でアドバイザリー業務を務める中で「もっと強く企業のトップの意思決定に携われる存在になりたい」という思いが出てきたことから、株主という立場に関心がわいていました。
また、もともと社会課題への思いが強かったことから、「もう少しビジネスと社会課題の間の連携を見いだしたい」と考えていたところで、ちょうどESGの考え方が金融の世界で広まり始め、「ESGに関連する仕事であれば、社会課題の解決と私のコーポレートファイナンスの知見が融合できる」と思い、転職することにしました。

スパークスではどのようなお仕事をされたのでしょうか。

サステナブル戦略における日本株アナリストを務めました。サステナブル戦略では、投資先に対するエンゲージメント活動の一環でコーチング的なコミュニケーションを取り入れており、私個人としては、気候変動に関する株主提案をしたNPO法人と共同でセミナーを開催したり、SNS上でESGに関して発信したりなど、単なるアナリストとして以外の活動も幅広くさせていただきました。
仕事としてはやりたいことができている実感はありました。一方で、毎日のように上場企業の社長やCFOなどの経営陣の取材を重ねるうちに「企業運営はその企業の中にいてこそできる」ことがよくわかり、私が一番やりたいことは、「経営者や経営陣の一員としてその企業に携わること」だと改めて明確に意識するようになりました。

【休憩中の一コマ】

思わぬ大病で死も覚悟。後悔しない生き方をと、スタートアップ「女性CFO」としての挑戦

そこで、スタートアップのSparty(スパーティ)に関わることになるのですね。

実は改めて事業会社の経営サイドを意識し始めた頃、私は突然「心タンポナーデ」を患っていることが発覚し、本当にいつ死んでもおかしくなかったことがわかりました。さらに、それは実は指定難病が原因となっていることがわかり、今後、一生ずっと点滴生活を続けていかなければならないことになりました。
それまでは、もっと投資家としての経験を積んでからスタートアップに挑戦しようと考えていたのですが、いざ自分がそんな境遇になってみると、明日死んだとしても後悔がないような生き方や人生の意思決定をしたいと強く思い、スパークスの社長からの応援の言葉もいただき、その時点での転職を決意しました。

ありがたいことに在職中から様々な企業からお声がけいただいていたのですが、その中でもSpartyとご縁があり、まずは経営企画室の立ち上げメンバーとして参画することになりました。「多様性」をキーワードに考えていた中で、「個性をその人の本来の魅力として引き出す」という同社のミッションに共感したためです。

軽々しくは言えませんが、かなり大変な状態な中での決断だったんですね。
その後Spartyではどんな役割を担われたんでしょうか。

SpartyはD2Cの形でパーソナライズプロダクトを提供している会社で、まずは経営企画室の立ち上げを行っていました。その後、Corporate Group Directorという経営管理部長のような役職に任命いただき、上場準備責任者と管理部長の2つを担う形になりました。具体的には、予実管理などの経営管理体制の構築、資金調達のほか、監査法人や証券会社とコミュニケーションをとりつつ、出稿する広告の審査体制を構築したり、規程や稟議のルールを整備したり、といった上場に向けた会社の内部統制整備などを行っていました。所謂CFO業務に近いかと思います。
労務や法務、人事など、これまであまり携わってこなかった領域についてもマネジメントすることになったため、各部署のメンバーに助けられることばかりでしたが、急ピッチで様々な体制を構築することができたのは良かったです。

その後、現職のファミリーテック社へ移られたということですね。

Spartyでは内部統制の整備や資金調達もある程度終えて、自分としては相応の達成感もあったので、それらの業務の傍らで副業としてArcoiris Partnersを開業し、これまでの経験を活かしつつ、社外CFOとしての活動も始めました。
その中で、自身の妊娠がわかったことで家族領域や多様性に対する志向がさらに強くなり、本業においてもより共感できるビジネスにコミットしたいと考えた時、ファミリーテック社がフィットしたというわけです。

現役スタートアップCFOとして「あるべき姿」を学びなおしに養成塾へ

これまで金融機関でファイナンスなどの知識や経験は十分あり、スタートアップのCFOとして実践もされていたわけですが、「パートナーCFO養成塾」を受講されたのはなぜでしょうか。

養成塾については、Sparty在籍中に申し込みました。おっしゃる通り、CFOとしてどんな仕事をするのか、については体感として知ってはいたものの、体系的に理解していたわけではなかったので、あらためてCFOや経営管理部長のあるべき姿を学び直したいと思ったからです。

受講してみていかがでしたか。何か岩崎さんの中で変わったことがありますか。

一番変わったのは、私自身のスキルに自信がついたことです。
ある程度の経験を積んだとはいってもまだまだ20代の若造だと自分で思っていましたが、これまでの自分の経験や知見は、企業にとって大きな力となりうることを知れたという意味で、本当に大きな収穫でした。
また、受講前は特にお金も取らずに、経営者の友達の相談に乗ったりしていましたが、それをちゃんとビジネスとして成り立たせようと思うようになったことも大きいですね。

あとは、経営計画の策定や採用戦略などについては既に試行錯誤しながら実践していましたが、高森さんがそれらを実際のパートナーCFO業務にどう落とし込んでいるかを見ることができたのも大きかったです。

一緒に受講した仲間のみなさんはどうでしたか。

様々なバックグラウンドの方々と意見交換できたのは、本当に良かったです。私は圧倒的最年少で、かつ唯一の女性でしたが、だからといって特に馬鹿にすることもなく、皆さんが対等にコミュニケーションをとってくださった点でも感謝しています。立場に関わらず、各自が持っている知見を惜しみなく共有するという場でした。

【養成塾のワーク中、メンバーと意見交換をする岩崎さん】

自分のスキルに自信が持て、ビジネスにできるように

ちなみに、岩崎さんは養成塾受講中に副業としての活動もされていたそうですね。

受講中は前職での自分の業務が落ち着いている時期だったこともあり、副業で最大7社のサポートをしていました。上場会社のIR支援として決算説明会の資料準備をしたり、統合報告書やサステナビリティレポートの作成を支援したり、上場・非上場を問わずESG周りの支援や、ベンチャー企業の資金調達・経営計画の作成サポートなど、それまでのキャリアで培ったものを活かしたサービスを展開していました。

自分で積極的に営業をしていたわけではないのですが、知人から相談を受けたときに「私がサポートしましょうか」と言いやすくなり、結果的に顧客数が拡大していきました。
スポットでの契約もありますが、中長期的な視点で継続的に支援をしている先が多いです。

養成塾という名称ながら、CFで実績ある人にも受講する意義は大いにある

養成塾を人に勧めるとしたら、どんな方向けでしょうか。

CFOを目指している方のみでなく、すでにCFOを務めている方にも、おすすめの講座だと思います。
体系立てた知識を学ぶことに加え、「これは本来こうあるべきなんだよな」というのを受講中に何度も実感しました。
自分の今までの仕事のやり方を見直すきっかけになるので、養成塾という名前ではあるものの、すでに実績ある人でも受講する意義は大いにあると思います。

将来は、多様性のある社会をつくること、スタートアップや中小企業の情報格差を解消することの2つに関わりたい

それでは、岩崎さんの将来の展望、あるいは野望についてお伺いします。何かお考えのことはありますか。

展望や夢という意味では2つあります。
1つ目は、「多様な価値観が共存する社会にしていきたい」ということです。私の考えている多様性は、いわゆる女性活躍・障碍者雇用というような観点のみでなく、企業の中での働き方の多様性、企業の経営方針の多様性、家族の在り方の多様性なども含みます。家族の在り方という意味だと、子育て世帯、子供のいない世帯、養子を育てている世帯、結婚以外のパートナーシップ制度、LGBTQなどなど。社会の幅広い分野で多様性が認められる社会にしたいと思っています。

2つ目は、「スタートアップや中小企業が抱える情報格差を解消したい」ということです。
これまで、金融機関で関わっていたような大企業と、直近で多く携わっているスタートアップや中小企業を比較した時に、情報格差の存在を強く認識するようになりました。特に、地方の企業だとこれがさらに顕著だと思います。
例えば、資金調達やM&Aなどの財務戦略にしても、その他の経営に関わる部分でも、「これを知っていればこんな失敗はしなかっただろうに」という事例も多く目にします。そのような情報格差を解消するような仕組みやビジネスを展開することで、誰もがやりたいことを実現できるような社会を作っていけるのではないかと強く感じています。

2つともこれからの日本や世界にとって大きな課題だと思いますが、それぞれ具体的に考えていることがありますか。

まず、多様な価値観が共存する社会については、まさに今ファミリーテック社で展開しているサービスをどんどん拡大していきたいです。共働き世帯が今以上に効率的に運営しやすくなるようなサービス設計にできたらなと思っています。
また、どの会社も時短や育児休業などの制度はありますが、自身が難病患者になったり、妊娠・出産を経験したりして初めて気づく不自由さもありました。やはり自分が当事者にならないとわからない点も多いので、そういう個人個人の経験を活かして、まずは自社内での制度設計などを進め、いずれ世の中に普及させていければとも考えています。

プライベートでは、以前からダイバーシティーキャリアを推進する活動をしているので、公私の経験を融合させてダイバーシティ・コンサルティングのようなことも拡大していきたいですね。

スタートアップや中小企業の情報格差についてはいかがでしょうか。

この分野こそ、パートナーCFOの立場で取り組んでいくのが一番かなと考えています。副業の形になるかとは思いますが、まずは私と関わりのある身の回りの企業を中心に、情報提供をしつつ一緒に経営課題の解決をサポートしていければと考えています。

自分は恵まれているからこそノーブレス・オブリージュを実践したい

岩崎さんは学生時代から現在まで自分がやりたいと思ったことは全速力で実行されてきたわけですが、その原動力は一体なんでしょうか。

原動力という意味だと、私が在籍していた中学・高校のスクールミッションとして「ノーブレス・オブリージュ」という考え方を学んだのをきっかけに、社会課題等を自分ごと化するようになったのかもしれません。日本に生まれ育ったということも含めて、これまで自分が恵まれているという実感があったためです。
あとは、「為せば成る」というか、実際に飛び込んでやってみれば何とかなる、という想いはもともとありますね。

大学の母校の創立者である福沢諭吉の言葉「気品の泉源、智徳の模範たらん」に通じるものを感じますね。

「学問のすゝめ」にも、世の中の不平等を埋めるために勉強すべきという趣旨のことは書いてあったので、通じるところはありますね。自分の考えがこんなところでつながるとは、うれしいですね。

<編集後記>

岩崎さんのお話を伺うと、単に理想を語るのではなく、理想実現のための行動力にまず驚かされました。ご本人にとっては当たり前のことかもしれませんが、苦しいときも常に前を向いて進んでいくパワーにも圧倒されました。
そんな岩崎さんの趣味はゴルフとサウナ、そしてストレスが溜まったら筋トレ、日本酒、ウィスキー(推しはアードベッグ)とのこと(趣味の多様性も並みでない)。もっとも今は育児真っ最中なので趣味は封印しているそうです。
何しろ、大学時代のエピソードだけで本が1冊かけるくらいなので、これから多様性ある社会作りやスタートアップ・中小企業の情報格差を解消するビジネスについても、たくさんの実績を積まれて行かれると思います。
数年後に岩崎さん自身とそのビジネスがどのように成長しているか、今から楽しみです。

<取材・文>第2期生 森本哲哉
取材日:2023年9月17日